1998年2月、日の丸飛行隊が冬季五輪で金メダルに輝いた長野県白馬村のジャンプ台。最後のジャンパー船木和喜がK点越えの飛躍をきっちり決め、そのままあおむけに倒れ込む。人目をはばからず、原田雅彦が泣きじゃくりながら駆け寄った-あの感動の舞台は、実は断層運動によって隆起した地形の上に築かれたとされる。
国土地理院が発行している都市圏活断層図では、ジャンプ台のすぐ北側に活断層を示す赤いラインが引かれている。山形大教授の八木浩司は話す。「八方尾根スキー場で有名なあの場所は、大地震を伴う断層運動で隆起し続けてきた。五輪会場となった二つのジャンプ台も、同じように形成された急な崖を利用したものです」
宮さまが訪問
八木によれば、活断層地形がスキー場やジャンプ台に利用されるケースは珍しくない。本県では米沢市西部の御成山シャンツェ(ジャンプ台)がその一例という。
米沢市の公式ホームページによると、この場所は創設当初、化物沢スキー場、あるいは鷹打羽スキー場と呼ばれていた。しかし、1936(昭和11)年1月に開催された全日本学生連盟スキー大会に秩父宮さま(昭和天皇の弟)が訪問されたことを記念して、御成山スキー場と改名された。現在はスキー場はなく、ジャンプ台だけが残る。
昨年11月発行の都市圏活断層図「米沢」にはジャンプ台の山麓に、活断層を示す赤い線が引かれている。長井盆地西縁断層帯を構成する断層の一つ、米沢盆地西縁断層だ。川西町から米沢市南方まで、北北西-南南東走向でほぼ直線状に連続し、長さは約15キロ。山形県は、断層上の米沢市舘山地区で溝を掘って地層の変位を探るトレンチ調査を行い、2条の逆断層を確認した。
八木によれば、米沢盆地西縁断層は盆地中央部の底にたまっている最も古い地層の年代から、活動開始時期は数十万年前ごろと考えられている。「御成山一帯はその後、長い年月をかけて徐々に持ち上がり、いまのような地形になった」
政府の地震調査研究推進本部の長期評価では、長井盆地西縁断層帯で想定される地震の規模はマグニチュード(M)7.7程度。今後30年以内の発生確率は0.02%以下としている。県内主要断層帯の中では最も低い数字だが、八木によれば、万一この一帯で大地震が発生した場合、地滑りなどの被害が懸念されるという。
御成山シャンツェから望む米沢市街地。活断層は身近な所に存在している
身近な場所に
本県の活断層に詳しい八木がよく口にするのは「活断層はわれわれの身近な所に存在している」ということ。「例えば、単なる裏山と思っていた丘が活断層によってできたと認識していれば、地震に対する心構えも違ってくるはず。だからこそ」。八木は続ける。「活断層に関する知識や意識の向上が、行政にとっても住民にとっても、とても大切なことといえる」=敬称略
御成山シャンツェから望む米沢市街地。活断層は身近な所に存在している
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