山形盆地断層帯は、大石田町から村山市、河北町などを経て上山市に至る約60キロの断層帯で、盆地の西側を縁取るように位置する。政府の地震調査研究推進本部によれば、過去の活動時期の違いから北部(約29キロ)と南部(約31キロ)に区分される。北部は今後30年以内にマグニチュード(M)7.3程度の発生確率が0.003~8%となっている。最大8%という数字は一見低いように感じるかもしれないが、1995年に発生した阪神大震災の原因となった野島断層と同じ発生確率。全国的にも上から8番目に高い要注意断層帯だ。
最上川河床
断層帯北部は駒籠(こまごめ)-横山、富並、高森山、湯野沢の四つの断層から成る。駒籠-横山断層は山形盆地断層帯の北端にある活断層で、東側には初夏の風物詩「ジュンサイ摘み」で知られる村山市の大谷地沼(通称ジュンサイ沼)がある。「ジュンサイ沼は活断層による地形を利用してできたのではないか」。山形大教授の八木浩司は推測する。
かつて大陸と陸続きだった日本列島は東に引っ張られる力で引き離され日本海が誕生したが、400万年前ごろから東西圧縮に転じる(反転テクトニクス)。八木によれば、ジュンサイ沼周辺は2万年ほど前には最上川の河床で、当時は全体が平らな地形だったが、東西圧縮の動きで大地が隆起、気候変化も加わり離水し、最上川は別のルートを流れるようになる。大地はさらに押され続け、ジュンサイ沼周辺は波板状になる。そして、南北に細長くできたくぼ地を活用して人工沼を造ったと考えられるという。
ジュンサイ摘みで知られる村山市の大谷地沼周辺(八木浩司教授提供)
身の回りに
大高根じゅん菜採取組合によると、ジュンサイ沼ができた時期や経緯は不明。組合長・伊藤一義(78)は「江戸時代にはあったと思うが、口伝えもないし文献にもないので分からない」と話す。「ただ、近くに活断層があることは以前から知っていた。東日本大震災後、寝室のたんすが倒れないようにしたり、発電機をそろえるなど備えました」
国土地理院が発行する都市圏活断層図「村山」には、ジュンサイ沼周辺は活褶曲(しゅうきょく)を示す線が引かれている。活褶曲は現在も続いている地殻変動によって生じている波状地形のこと。八木によれば、波状地形ができた時に大地震が起こったかは不明だが、ジュンサイ沼のすぐ西側には駒籠-横山断層があり、「そこでは2500年から4千年周期で大きな地震が起きていることが分かっている」。褶曲運動と断層運動は東西圧縮という地殻変動による一連の動きであり、「活断層地形は身の回りのごく普通の風景の中にある」と八木は言う。=敬称略
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