山形県の母なる川「最上川」。源流から河口まで総延長229キロのうち、白鷹町荒砥から大江町左沢に至る区間(約30キロ)は五百川(いもがわ)峡谷と呼ばれている。そのほぼ中間に位置するのが朝日町の宮宿-常盤断層だ。この断層は4本が並走。最上川とたびたび交差しながら朝日町上郷から宮宿へと続く。
朝日町常盤に住む山形応用地質研究会幹事の佐竹伸一は語る。「断層周辺ではおよそ3万年前以降、少なくとも3回は大きな地震があったと考えられる」。根拠は「河岸段丘」に残る大地震の痕跡と、工事で露出した地層の変位だ。
最良の学び場
河岸段丘は、川の流路に沿って階段状になった地形を指す。谷底平野を流れる河川が、地盤の隆起などによって浸食力を取り戻し、再び強力に平野を削る-この繰り返しが、平たんな部分(段丘面)と崖(段丘崖)の反復となり、階段状の地形を生み出す。
宮宿-常盤断層周辺は河岸段丘が発達。同町常盤の熊ノ山農村公園にある「見晴らしの丘」から周囲を見渡すと、高さの違う段丘面がいくつも確認できる。
佐竹が注目するのは見晴らしの丘「から」ではなく、丘周辺「を」眺める景観だ。「(丘から約1キロ北北西にある)西五百川小学校裏の校庭から公園周辺を見ると、直下型の大地震によって段丘面に生じた活断層地形が分かる」。佐竹によれば、公園周辺には新旧二つの段丘面があり、いずれも地殻変動によって生じた変位がみられる。
山形大名誉教授の山野井徹は「宮宿、常盤周辺は活断層の教育には一番の場所」と話す。「古い段丘ほど落差が大きく、地震が繰り返し起きていることがよく分かる。大学で教えていたころは毎年、この地に学生を連れて行き実習させていた」
山野井の教え子でもある佐竹は「古い段丘面は3万年から3万5千年前に形成された面で、ここに変位があるということは、そのころに大地震があった証拠」と語る。一方、「新しい段丘面が形成されたのは2万年から2万5千年前。この面も切れているので、そのころにも大地震があったと判断できる」。古い段丘面は2度の大地震を経験しているため、新しい段丘面のズレより大きい。つまり、変位が累積しているというわけだ。
西五百川小学校裏の校庭から見える活断層地形。手前左下を最上川が流れる=朝日町
回旋運動の跡
残る1回の大地震の痕跡は、農道整備事業で1998年に露出した地層から見つかった。「朝日町三中地区で、東側が隆起し、西側が沈降する回旋運動の跡があった。縄文時代以降の地層とされるクロボク土も変位しており、1万年前以降に起きた大地震の影響と考えられる」と佐竹。
「3回とも相当大きな揺れだったことは想像に難くない」。佐竹は約10年前、自宅を建てた際、地盤の石垣を補強するなど、周辺に活断層があることを考慮したという。「次の大地震がいつ起こるか分からないが、備えるに越したことはないですから」=敬称略
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