防災関連企画
  1. 東日本大震災から5年~忘れない3・11[10・完] 教訓をどう生かす(下) 学校・行政編
  2. 東日本大震災から5年~忘れない3・11[9] 教訓をどう生かす(上) 企業編
  3. 東日本大震災から5年~忘れない3・11[8] 県内避難者の選択(下) 移住
  4. 東日本大震災から5年~忘れない3・11[7] 県内避難者の選択(中) 帰還
  5. 東日本大震災から5年~忘れない3・11[6] 県内避難者の選択(上) 示されたリミット
  6. 東日本大震災から5年~忘れない3・11[5] あの場所、あの人は今(下) 福島
  7. 東日本大震災から5年~忘れない3・11[4] あの場所、あの人は今(中) 岩手 町包む、新たな旋律
  8. 東日本大震災から5年~忘れない3・11[3] あの場所、あの人は今(上) 宮城 本当の復興はいつ
  9. 東日本大震災から5年~忘れない3・11[2] あの時を振り返る(下) 九死に一生、東根の4人
  10. 東日本大震災から5年~忘れない3・11[1] あの時を振り返る(上) 山形の遺族
  11. 豪雨災害1年・南陽は今(下) 住民生活
  12. 豪雨災害1年・南陽は今(中) 基幹産業・農業
  13. 豪雨災害1年・南陽は今(上) 市の取り組み
  14. 県内豪雨時代への備え(下) 見直される治山 対策3割、整備急務
  15. 県内豪雨時代への備え(中) 治水対策の重要性 明暗分けた河川改修
  16. 県内豪雨時代への備え(上) 異常な気象状況 量、激しさ危険身近に
  17. 南陽豪雨1カ月(下) 住民生活とボランティア 親身の活動、早い復旧
  18. 南陽豪雨1カ月(中) 地域産業への影響 農業、観光に大きな痛手
  19. 南陽豪雨1カ月(上) 応急対策と防災対策 改良復旧、10月にも着手
  20. 南陽豪雨またも~課題検証(下) 農業被害 稲覆う土砂、収穫諦め
  21. 南陽豪雨またも~課題検証(中) 気象と地形 県内どこでも可能性
  22. 南陽豪雨またも~課題検証(上) 遅れた治水対策 国査定の遅さ影響
  23. 水の里の明日~県内豪雨被害の教訓(下) 最上小国川ダム問題、各団体と行政の協力必要
  24. 水の里の明日~県内豪雨被害の教訓(中) 治水対策で被害明暗
  25. 水の里の明日~県内豪雨被害の教訓(上) 雨量増も治水予算減少
  26. 山形の活断層 第7部・最終章 世界、日本そして山形(10・完) 「3・11」後を生きる
  27. 山形の活断層 第7部・最終章 世界、日本そして山形(9) 地震から命を守るには
  28. 山形の活断層 第7部・最終章 世界、日本そして山形(8) 活断層上にある原発
  29. 山形の活断層 第7部・最終章 世界、日本そして山形(7) ひとごとではない、福島の原発事故
  30. 山形の活断層 第7部・最終章 世界、日本そして山形(6) 太平洋プレート沈み込み、火山フロント形成
  31. 山形の活断層 第7部・最終章 世界、日本そして山形(5) 福島・いわき市「もう一つの大震災」
  32. 山形の活断層 第7部・最終章 世界、日本そして山形(4) 阪神大震災の震源・野島断層、そのまま保存し後世に
  33. 山形の活断層 第7部・最終章 世界、日本そして山形(3) 地面のずれ最大10メートルの台湾大地震
  34. 山形の活断層 第7部・最終章 世界、日本そして山形(2) 米とニュージーランド、土地開発制限する「活断層法」
  35. 山形の活断層 第7部・最終章 世界、日本そして山形(1) パキスタン発の教訓
  36. 山形の活断層 第7部・最終章 世界、日本そして山形(1) ヒマラヤと共通点
  37. 山形の活断層 第6部 日本海東縁海底断層(8・完) 過去の地震や津波、丹念に 歴史に学び命守る
  38. 山形の活断層 第6部 日本海東縁海底断層(7) 飛島の誕生 逆断層運動で隆起
  39. 山形の活断層 第6部 日本海東縁海底断層(6) 大自然が造った防潮堤、庄内砂丘
  40. 山形の活断層 第6部 日本海東縁海底断層(5) 庄内砂丘に広く分布、謎の泥質層
  41. [2013年01月12日]

     いまから約千年前、巨大な津波が庄内沿岸を襲ったかもしれない。この推論が正しければ、平安時代の先人たちは甚大な被害を受けただろう-。

     根拠は、庄内砂丘に広範囲に分布する泥質層。「いろいろな可能性を検討したが、いまのところ津波によって運ばれたとしか考えられない」。山形大名誉教授の山野井徹は、謎を解明するため研究を続けている。

    高さ30メートル超か
     きっかけは2011年3月11日に発生した東日本大震災だ。「1996年に行われた赤川放水路の拡幅工事で庄内砂丘のほぼ全断面が現れた。その際、成因不明の泥質層を見つけ、気になっていた」。いつしか、記憶は頭の片隅から消えかかっていたが、「3・11」で呼び覚まされた。

     山野井はすぐに行動を開始した。「貞観(じょうがん)地震(869年)で大津波が来ていたという研究成果が、東日本大震災前に出ていたのに重視されなかった。われわれは地質学的記録をもっと大事にしなければならない」と思い立ち、庄内へ向かう。

     砂丘をつぶさに歩き回った結果、遊佐町吹浦から鶴岡市下川にかけ計11カ所で泥質層を確認した。放射性炭素の年代測定の結果、堆積年代は約千年前と判明。分布地点は海岸から約500メートル~2キロ、最も高い場所は33.5メートルだった。仮にこの泥質層が津波堆積物だとすると、遡上(そじょう)高30メートルを超える大津波が押し寄せてきたことになる。

    山野井氏が作成したイメージ図。津波は新砂丘を乗り越え、沼の水を巻き込みながら古砂丘に押し寄せてきたと考えている

    山野井氏が作成したイメージ図。津波は新砂丘を乗り越え、沼の水を巻き込みながら古砂丘に押し寄せてきたと考えている


    仮説立て検証
     山野井自身、この泥質層を津波堆積物と判断するには慎重だった。規模が大きすぎるし、歴史上の記録も残っていない。「洪水による浸水、火山灰の堆積、かつて沼だった可能性…。さまざまな仮説を立て一つ一つ検証したが、洪水が砂丘の上まで来るだろうか。粒の大きさがそろっていないことから火山灰ではないし、山間部ならともかく、海岸で30メートルもの水深を持つ湖沼も考えにくい」

     泥質層からは、淡水性プランクトンが見つかった。「海水性」でないなら、津波堆積物と言えないのではないか? しかし、山野井は説明する。「庄内砂丘は海岸側に小さな丘、陸側に大きな丘という2段階の地形になっている。小さな砂丘と奥の砂丘の間のへこんだ部分に沼があったとすれば、津波が淡水プランクトンを巻き込んで上ってきたとしても矛盾しない」

     津波堆積物に詳しい産業技術総合研究所海溝型地震履歴研究チーム長の宍倉正展は「海由来のものが含まれておらず、これまでの常識では津波堆積物とは考えにくい。誤りだった場合、無用な心配を抱かせることになりかねない」と否定的だ。ただ「海由来のものがなくても、ある程度の時間、海水が陸地に停滞すれば津波によって泥質層が生じることはある」とし、「硫黄の含有量や電気伝導度を調べる手もある。判断は慎重にする必要があるが、さまざまな調査は防災上意義がある」と語る。

     平安時代の先人たちは甚大な津波被害を受けたのか否か。真相はまだ分からないが、「東日本大震災では、過去に大津波が来たと指摘されながら生かされなかった。そうならないようにするためにも記録を残すことが大事だ。後世の人たちが参考にできるよう今後さらに詳しく調査していく」。山野井は、研究の積み重ねこそが、防災・減災につながると信じている。=敬称略

    庄内砂丘で確認された泥質層(斜面に沿って分布する灰色の層)。津波堆積物の可能性があるという(山野井徹氏提供)

    庄内砂丘で確認された泥質層(斜面に沿って分布する灰色の層)。津波堆積物の可能性があるという(山野井徹氏提供)

    もっと見る

    もっと見る

    もっと見る

    もっと見る

    もっと見る

    もっと見る

    もっと見る

    もっと見る

    もっと見る

    もっと見る