第5部・住み慣れた地で最期まで(5) 在宅(中)~明日につなぐ地域医療|山形新聞

明日につなぐ地域医療

第5部・住み慣れた地で最期まで(5) 在宅(中)

2022/6/9 15:22
在宅医療でみとりにも関わる上田診療所の矢島恭一所長(左)と佐藤真紀看護部長=酒田市

 住み慣れたわが家で日常を送る患者に医療を提供する在宅医療の大切な仕事に「みとり」がある。住み慣れた家の畳の上で最期を迎えたい―。人生をどう締めくくるかを考え、こう願う人も少なくない。

 自宅での最期をかなえる要は医師だが、到着が遅れる時は看護師が最期の時間をみる場合もある。呼吸が浅くなる、脈が弱くなるなどの前兆があると、家族からまず訪問看護ステーションに連絡がいき、看護師が駆け付ける。県内でみとりを経験した看護師は、ある患者と家族のことを思い出す。

 その患者は、もう言葉を発することができなくなっていた。自分の最期は自分で決めたのだろう。目で点滴を拒否し、そのまま息を引き取った。「生きるって、こういうことなんですね」。見守っていた家族は、こう看護師に声を掛けた。

 亡くなったことが認められたら、看護師は体を拭く、本人や家族が希望していた服に着替える、化粧をするなどの「エンゼルケア」も行う。みとりに立ち会っていると、本人が話せるうちに、思いを聞いておく大切さを痛感する。

 近年は新型コロナウイルス禍の影響で、在宅医療に切り替え、みとられる人が増えているという。

 新庄市で在宅医療に取り組む医療法人土田医院の土田秀也理事長(63)は昨年、前年よりも15人多い68人をみとった。「自宅でみとりができると、家族にとって心残りが少ない。その人の一生の最期に関わる経験は残された人たちにもプラスになる」。土田理事長はこう考えている。

 「自分がみとりの担い手になる」。新庄市の土田医院の土田秀也理事長(63)は総合病院での勤務を経て、1996年に独立し、在宅医療に取り組むようになった。当時、最上地域には往診やみとりまで関わる診療所やクリニックは少なかった。県内の在宅医療を支える医師の多くは開業医だ。「患者の最期まで寄り添い、その求めに極力応じることが、われわれの務め」と土田理事長は語る。

 日本海ヘルスケアネットの構成法人で、酒田市西部の上田診療所を運営する医療法人宏友会も、在宅医療に力を入れ、みとりを行っている。所長の矢島恭一理事長(74)は「最期は幸せに迎えたいという家族の思い、本人の思いを酌んであげる。それが大事」と話す。

 矢島理事長は佐賀県出身。日本医科大から北村山公立病院に派遣されたことで、本県で医師として仕事をするようになった。酒田市出身の妻が帰郷するのを機に、医師不在で閉鎖状態だった同診療所を86(昭和61)年に引き継いだ。当初は16床の有床診療所としてスタート。簡単な手術もできる施設を整備した。外科が専門だったが、本県に来たことや小笠原諸島・父島での研修の経験から在宅医療に注力した。年々、介護の需要が増え、介護老人保健施設や居宅介護支援のサービスを始めた。「法人内、地域内で医療から介護まで自己完結できるのが強み」と胸を張る。

 在宅医療で大切にしているのは、家族の気持ちを聞き、方針を決めること。残された時間を告知するのも大切な仕事。「一日でも長く一緒に過ごしたいのか、それとも幸せなうちに苦しまず最期を迎えさせたいのかなど、じっくり話すことが重要」と指摘する。

 もう一つ大事にしていることがある。病気だけをみるのが在宅医療ではない。その患者の生きざま、人生、精神状態、家族関係、経済的な事情も全てみることが必要という。自宅でのみとりはコロナ禍で増える傾向にあるが、近年は家族が面倒をみることができず、やむなく施設で息を引き取る人もいるという。

 上田診療所として自宅でみとる患者は年間20人程度。矢島理事長は警察協力医として、自宅で1人で亡くなった人の遺体の検案にも携わる。「家族にみとられる人と、孤独に亡くなる人とは表情が違う気がする。穏やかに見送られることがいかに幸せかが分かる」。患者を取り巻くさまざまな事情を考慮し、対応方針を決める上田診療所の在宅医療。矢島理事長の理念を理解し、ともに悩み、患者に寄り添う看護スタッフも育ってきた。「自分が関わった患者には最後まで関わる。それが私たちの役割」。これが矢島理事長の信念だ。

 開業医が減少する中、こうした医師や看護師の思いが、患者が自らの最期に寄せる願いを支えている。

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