(206)父の思い、舞台に乗せて~渡辺えりの ちょっとブレーク|山形新聞

渡辺えりの ちょっとブレーク

(206)父の思い、舞台に乗せて

2022/7/30 15:27

 今月末まで舞台「私の恋人 beyond(ビヨンド)」の北海道公演だ。出演者の小日向文世さんの生まれ故郷・北海道を回ることにし、北見、帯広、札幌、北斗、そして苫小牧が千秋楽となる。札幌公演には山形西高演劇部の仲間だった同窓生も友人を連れて見に来てくれ、山形の演劇部時代と少しも変わっていないとの感想をもらった。

 東京公演後、豊橋(愛知県)、八戸(青森県)、北上(岩手県)と回ったが、北上にはサクランボ農家に嫁いだ同級生が差し入れをたくさん抱えて見に来てくれた。新型コロナウイルス禍で面会はかなわなかったが、「すごく感動した」との感想をくれた。

 そして、高村光太郎の山荘を取材で訪れるたびにお世話になった方たちも見に来てくださった。岩手県の花巻温泉には光太郎の泊まった旅館があり、光太郎の泊まった部屋には、私の父が書いた光太郎の詩を入れた額が飾ってある。毎年開かれている「高村祭」の講師として、光太郎と手紙のやりとりをしていた父が招かれた時に書いたものだ。父のお供で私も泊まり、光太郎も宮沢賢治も漬かった温泉に入ったのだった。

 小学校の頃、光太郎に会ったという方もまだ存命で、お会いできた。光太郎は読売文学賞をもらった際、その賞金をそっくり山荘のある太田村(現花巻市)に寄付した。そのお金で作った橋も残る。光太郎が原案を考えた校章をあしらった小学校の旗は高村光太郎記念館(岩手県花巻市)に保管されている。私は、父が光太郎にもらったはがきやサイン本、父と弟が参加した、光太郎のアパートといったフランスのゆかりの場所を巡る旅のアルバムなどを記念館に寄付した。

 その時の父との約束で書き上げた戯曲「月に濡れた手」には、若き両親も登場している。5月15日にそんな父を亡くし、舞台に立ちながら、父が戦時中に感じたであろう感情をまさぐっている。「平和」「自由」といった父の願いが、また今危うくなりつつある。何とか食い止めなければ。そんな思いに駆られながら、この「私の恋人」という作品を演出し、プロデュースして演じている。

 強者が弱者を占領し支配し、絶滅させるような古代からの戦争を止められないのか? それぞれがそれぞれの立場を尊重しながら、共存共栄する道はないのか? そんな祈りを込めながら演じる日々である。

 父と私が生まれた山形市村木沢。そして、母も父も通った村木沢小の「桜ケ丘男子バレーボールスポーツ少年団」が山形県で優勝し、全国大会に行くことになった。過疎化などで7人しかいないチームが優勝したのだ。これはすごいことである。そのチームが、お金がなくて全国大会に行けないかもしれないという。

 父が亡くなる前、車いすを押して村木沢小に行き、グラウンドの真ん中で写真を撮った。昔とは校舎が逆に建っているようだったが、うれしそうだった。走るのが早かった父は、このグラウンドでいつも1等賞だった。いとこはここで体操競技をやっており、赤ん坊の私は平均台の技を見て駆け寄ったという。

 私は村木沢小に入学する前に美畑町に引っ越したため、山形六小に入学した。村木沢小バレースポ少の快挙に、父も喜んでいるだろう。何とか全国大会に行かせたい。私もそのためにできる限りの応援をしたい。

 8月6日は、山形花笠まつりの山車に乗せていただく。コロナ前は踊っていたが、今回は踊れず本当に残念だ。おとなしく皆さまに手を振ります。今年は笑顔で、山形人の優しさ、力強さを全世界に発信しましょう! 平和を祈る花笠まつりにしたいですね。介護施設にいる母にも会いたい。抱きしめたいけど、まだ無理かな? コロナよ、早く飛んでいけ!

(俳優・劇作家、山形市出身)

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