庄内を舞台にした映画「おくりびと」(2008年公開)。封切りの日に見た。涙が止まらなかった。風景が、描かれた世界が美しくて、探し求めていた誇れる日本がそこにあったのがうれしくて。その後、映画館で10回、DVDで50回見た。「あの山(鳥海山)に会いたい」と千葉市から1年4カ月の間に20回、庄内に通った。来るたびに自然、風土、人に感動し、10年3月、当時中学2年だった娘と酒田市に移住した。
庄内町観光協会観光専門員や、ホテルリッチ&ガーデン酒田(酒田市)の社員として庄内の観光振興に取り組んできた中原浩子さん(52)の物語だ。「魅(み)せられた庄内をもっと堪能する時間がほしい」と先月末に同ホテルを退職し、庄内にどっぷり漬かった日々を過ごしている。
例えば「おくりびと」で鳥海山を背景に本木雅弘さんがチェロを演奏した遊佐町の月光川。「アシが生えていて鳥がピーヒョロロと鳴いている。魚がピチョンとはねて、風が頬をなでる。風、水の音が聞こえ、感覚が研ぎ澄まされる」。例えば庄内平野。「金峰山から見渡すと、あっちは晴れ、こっちは雨で、虹が架かる所もある。天気がいくつも見える」。「とにかく空が広い」「空気が甘い」。中原さんが語る庄内の魅力は尽きない。
ファンにとどまらず移住するまでの決意をさせたのは、いったい何だったのか。「最大の魅力は人」と中原さんは断言する。「ここは人が人に帰れる場所だ」と。
中原浩子さん(52)は広島市出身。酒田市に移住する前は千葉市で学習塾を開いていた。人工物に囲まれた場所で、2歳半以上の100人を1人で教えるタイトなスケジュールの日々。生徒はどの子も懸命に努力していたが、テストの点数ばかりで評価され、何をするのも大人の許可がなければできない息苦しさを抱えていた。こんな国で人は育たない。そう感じていた時、「おくりびと」と庄内に出会った。
■優しく温かい
ホテルリッチ&ガーデン酒田では、庄内大好きプロデュース室長の肩書で、宿泊プランの企画、観光情報発信の強化、施設間連携などに取り組んできた。
風景や自然にも心を動かされたが、最も感動したのは、この土地に暮らす人々だ。温泉で小さな子どもを見れば「あいや、めんごいごど、何歳だ?」と声を掛けるおばちゃんが続々と現れる。塾で教えていた生徒を引率し、道を歩いていたら、通りすがりのおじちゃんが家まで戻ってお菓子を差し入れしてくれた。「ここの人はとにかく優しくて温かい。人が人に優しくしているのを見るだけで癒やされる」。
自然が美しいのも、黒川能のような伝統文化があるのも、手間暇を掛けて守る人がいるから。「その事実に感動する」と中原さんは言う。大自然の中に身を置き、季節に、農の営みに合わせた生活には、自分も生き物の一つだった、生かされていたんだと気付かされた。ここなら人を育てられる。地元の人は「こんな田舎、どこにでもある」と言うが、中原さんは「どこにもない」と力を込める。
そんな中原さんから見て、全国の観光地と競う際に山形の武器になるのは、やはり人の魅力だという。「きっかけは風景やイベントかもしれないが、人は人に会いたくてその土地に行くんだと思う。山形の人はそのままでいい。何げない声掛けが旅行者には本当にうれしいはず」。
■レベルアップ
一方で、何度も通った観光客の視点で、首をかしげるところもある。昼時が終わると飲食店は休憩時間になるし、出張者が仕事の後に土産を買いたくても観光施設は夕方で閉まってしまう。2次交通が不便で、車の運転ができなかったり不慣れだったりする人には来にくい。
山形の魅力をもっと輝かせるために、観光事業者のサービスのレベルアップをとの声を聞くことがある。中原さんは「その際、心に留めてほしいことがある」とする。山形のおもてなしは、都市部のそれをまねるのではなく、マニュアルを超えた「思いやり」だということだ。「ほかの人のことを、わがことのように思う心、これが山形の最高の宝だと思う」。
(第1部おわり)
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