やまがた観光復興元年

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やまがた観光復興元年

第3部・変貌する温泉地[2] 旅の目的であり続ける古窯

2014/3/29 14:53
花笠を手にしての見送りも古窯名物の一つ。お客さまが見えなくなるまで笑顔を続ける=上山市

 「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」(旅行新聞新社主催)で4年連続総合2位に選ばれている上山市かみのやま温泉の「日本の宿 古窯」。長く総合1位を守る加賀屋(石川県・和倉温泉)とともに初回から39年間、ベスト10入りを続ける。

 年に何度も通う常連の一人、千葉県四街道市和良比の自営業船橋潤一さん(56)。両親と3人で最初に宿泊したのが1998年9月だった。すぐにまた行きたくなり、2カ月後に再訪した。「実家に帰ったような気持ちになる。スタッフが親しみを持って声を掛けてくれ、心からくつろげる」と魅力を語る。以前は全国を旅行していたが、古窯ばかりに足が向くようになった。

 3年前に87歳で亡くなった父も大ファンだった。女将佐藤洋詩恵さんが常連客の食事に添えていた一筆箋など、古窯に関わるものは全て大切に保管してきた。心臓の病気で入院したとき、女将が寄せた励ましの手紙や写真を病室に持ち込んだ。「また古窯に行こう」を目標に、医師も驚く回復を見せたという。亡くなる半年前に再入院した際は、特別に送ってもらった古窯の浴衣を着て過ごした。「客以上のことをしていただいた」と船橋さん。今は母と2人で通っている。何より女将に、スタッフに会うのが楽しみだ。

 料理や風呂も高い評価を受けるが、特にもてなしが顧客の心をつかむ。旅館への宿泊を目的にした旅行が減少する中、古窯は旅の目的であり続けている。

 花を生けている時、宿泊客が墓参りに行くと聞けば、目の前の花を手早く包んで渡す。以前接客を担当していた常連客の来館を知れば、係が異動になっていても会いに行ってあいさつする。こうした対応は、会社が細かく指示したものではない。「実際に接するのは従業員。お客さまの喜びを自分の喜びとし、自然に実行できる人に育てることが大切」と古窯女将の佐藤洋詩恵さんは言う。

旅の記念に楽焼を制作できる。石原裕次郎さんをはじめ、館内で著名人の作品を鑑賞するのも楽しい。佐藤信幸社長が紹介してくれた=上山市・古窯

  ■客中心の考え

 100人ほどの正社員をはじめ約300人が働く。採用後はふすまの開け方、言葉遣いなど基本からしっかりと教え、その後も月1回は勉強会を開催。自ら考え、動ける人材へと育てていく。顧客から指摘があれば、その都度、対応を考える。「喜びも教えも、全てお客さまからいただくもの」と女将。顧客中心の考え方が、柱だ。

 よいサービスを提供するにはよい人材の確保が不可欠と、福利厚生の充実にも力を入れてきた。指揮を執るのは佐藤信幸社長(60)。1982(昭和57)年に専務に就任して以降、年間休日六十数日が一般的だった業界の中で週休2日制をいち早く導入。若い女性向けにディズニーランドの建物をイメージした社員寮(定員約30人)を整備し、社員旅行も実施している。

 働きやすい環境整備も重視する。そのために数々のマニュアル、ルールを整えた。例えば食器の管理。多い時は100組超が訪れる大型旅館で、季節ごとに器を使い分けるため、刺し身皿だけで何種類もある。細かく分類し、写真と保管場所の「番地」で管理することで、器探しに時間を割くことはなくなった。「働きやすい環境なら、従業員は本来の仕事に集中し、力を発揮できる」と佐藤社長。良質なサービスを提供するために重ねてきた工夫だ。

  ■らしさ大切に

 季節感や地域の歴史・文化、山形らしさでもてなすことも大切にする。桃の節句の時期には雛人形をかたどった食器を使い、紅花交易で栄えた山形の歴史を伝えるため紅花を使った料理も数多く提供する。館内数百カ所を生花で飾り、米沢牛や山形牛は1頭丸ごと買い付けることで質のよい肉を安く提供。芋煮に欠かせないサトイモは、従業員が植え付けや収穫を体験し、実感を持ってそのおいしさを伝える。

 古窯の創業は1951(昭和26)年。国内トップクラスの地位を守り続けてきた。その間、かみのやま温泉は規模の大小にかかわらず、魅力的・個性的な旅館が多い温泉地として全国に知られるようになった。「古窯の頑張りが、それぞれの前向きな取り組みを誘発していったのではないか」。同温泉旅館組合長を務める「彩花亭 時代屋」の冨士重人社長は言った。

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