やまがた観光復興元年

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やまがた観光復興元年

第4部・変わる情報発信[6] 現地での案内(上)

2014/4/24 08:18
山居倉庫にある観光案内図は日本語、英語、韓国語、中国語で表記されている=酒田市山居町

 到着ゲートを人々がくぐる。静かだったロビーが騒がしくなると、案内放送が耳に入ってきた。「ユース・ザ・バス(バスをどうぞ)」「ジーチャン(空港)」「サカタポス(酒田行きバス)」。英語、中国語、韓国語でバスの利用方法を伝えるアナウンスだ。東京からの便が着陸したばかりの庄内空港(酒田市)。羽田とつながる空の玄関口は、目を閉じれば国際空港を思わせる。

 飛行機が着陸後、全日空の地上スタッフが手荷物受取場でカウンターのボタンを押すと、約2分間、3カ国語のバス案内の自動音声が流れる仕組みだ。年間35万人近くを迎える庄内空港ビル(酒田市)は、「言葉の壁」を取り払うべく、施設内の「言語バリアフリー化」を進めている。

 2011年の東日本大震災で外国人旅行客が激減した本県。東北運輸局などは12年に外国人を呼び戻す方法を探るため、酒田市をモデル地域に指定した。庄内空港のほか、市は酒田港と飛島を結ぶ定期船「とびしま」の発着所、山居倉庫などを対象に情報や案内板などの多言語化を図った。フィデア総合研究所主事研究員として、この事業の責任者を務めた山口泰史・東北公益文科大特任講師(41)は「かつては外国人が庄内空港に下りると右往左往する状況だった。山居倉庫にどうやって行くか、飛島までの船にどう乗るかという基本的なところから始めた」と振り返る。

 現在、酒田市では、四つの言語の看板や地図、案内柱を頼りに街を歩けば、各名所への移動が可能になった。いずれも外国人観光客のための事業だったが、結果的に日本人旅行者にとっても街歩きが便利になった。

 日本観光振興協会の調査によると、宿泊旅行のうち、家族や友人、自分1人を合わせた個人の割合は2010年で9割を占める。だからこそ、外国人だけでなく誰もがガイドなしで観光できるよう、看板や地図、案内所による現地の情報発信が重要性を増している。

多言語表記の案内板は、山形大の留学生らの協力を受け、効果を確認しながら整備された=2012年3月、酒田市定期航路事業所

 東北運輸局などのモデル指定を受け、酒田市で行われた言語のバリアフリー化。インバウンド(海外からの旅行)をシミュレーションするため、さまざまな国の留学生約60人が協力した。事前踏査で「案内板の外国語表記が少ない」「切符はどこで買うか分からない」といった課題を見つけて改善。その後は効果の検証も行った。

■外国人目線で

 中国人留学生で山形大農学部4年の王莫非さん(26)も検証に加わった一人。庄内に住み始めて1年後の2012年春、事業のモニターとして旅行者目線で改善状況をチェックした。庄内空港で流れる母国語の案内放送や、定期船「とびしま」の発着所、山居倉庫などの案内板の多言語表記に、「本当によくできている」と驚いたという。

 昨夏は庄内空港を初めて利用してみた。「かつてはよく迷ったが、空港内での移動はなかなかスムーズだった」との感想だ。案内板を見た時には「先に日本語に目をやったが、母国語が自然と目に入ってきた」と言い、移動に必要な情報がストレス無く理解できた様子だ。

 モデル事業はおおむね3カ月ほどで終了した。その後、庄内空港ビルはデジタルの案内板の改良や、バス運賃の支払い方法を書いた看板などを設置。酒田市は事業を通じて作った「街歩きマップ」の増刷に向けて現在、準備中だ。特に英語版は好評で珍しさや学習のために市民が手にするケースがあるという。

■震災前の半分

 またマップ上に記した地点ごとの数字を路上の案内柱にも明記し、観光地に誘導する取り組みも開始。順次、案内柱を更新する考えだ。こうした動きを事業責任者だった山口泰史・東北公益文科大特任講師(41)は「外国人をもてなそうという意識を感じる」と評価する。

 県の調査では、昨年に本県を訪れた外国人旅行者は約4万8千人で、東日本大震災前の半分にとどまる。山口講師は「この事業で劇的に変わるわけではない。行政、観光団体、市民が連携した整備活動の継続にかかっており、例えば2020年の東京五輪での来客につながればいい」とする。そして、「ハード、ソフトの整備をしても最後は人。どれだけの数の人がおもてなしの心を持てるかにある」と続けた。

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