点在する資源を結ぶことで、観光ルートとなった「置賜さくら回廊」。東日本大震災に伴う原発事故の風評被害で激減した観光客を呼び戻すことが、当面の課題となっている。ただ、それ以上に深刻なのが古典桜の樹勢の衰えだ。
置賜さくら回廊の古典桜のうち、樹齢500年以上の桜は白鷹町に8本、長井市に2本ある。うち白鷹町の薬師桜と長井市の久保桜、大明神桜は樹齢1200年。多くの古典桜にそれぞれの保存会が存在し、土壌改良を行ったり、防虫対策を施したりと手を尽くしてきた。それでも、置賜さくら回廊が始まった約20年前と比べ、衰弱は著しい。
その姿を残念がる声が強くなるにつれ、守り続けてきた住民の存在と活動への注目も高まっている。
白鷹町高玉の金田聖夫(さとお)さん(81)。「木に呼ばれるんだ」と自宅近くの薬師桜にほぼ毎日、足を運ぶ。夏の暑い日も、雪に覆われる冬の日も。金田さんと地域の有志は枯れ枝の除去、消毒、わら敷き、草むしり、防虫対策に汗を流す。「時代時代に誰かが守ってきたから薬師桜が残っている。自分は1200年の中のほんの何十年を担ってきただけ」と金田さんは笑う。
元長井市観光協会長の竹田昭三さんの自宅には、1895(明治28)年に撮影された久保桜の写真が残る。当時からいくつもの支柱が立てられている。長い間この地に暮らす人々に支えられ、時代を越えてきたことがうかがえる。
古典桜と同じように、回廊の周辺には、何百年と続く獅子舞や念仏踊り、大衆演劇も残る。長井市観光協会の今野誠事務局長(51)は語る。「先人から受け継いだ宝を守る人たちが、いる地域だということも発信していきたい」
置賜さくら回廊の各名所では、そろいの衣装で案内する観光ボランティアとともに、地元農家らが観光客を出迎える。白鷹町の十二の桜周辺で住民がお茶や漬物を振る舞い、接待したことから発展し、農産加工品や菓子、日本酒などの特産品の販売も行う。
九州や関西からも観光客が訪れるが、皆が満開の桜を見られるわけではない。花はつぼみでも、住民の心のこもったもてなしが、リピーターをつかむ要因の一つになっている。
■「命をつなぐ」
「古典桜の命をつなぎたい」。地元の有志は2世木の苗の育成活動を手探りで進めてきた。白鷹町高玉の金田聖夫さん(81)は白鷹エドヒガン桜増殖会代表を務め、1989年から薬師桜、釜ノ越桜の2世木の育成と普及に携わってきた。町内、県内、全都道府県に計3千本以上の苗木を送り出した。2012年には、復興の願いを込め、東日本大震災被災地に苗木500本を、米国には薬師桜と久保桜(長井市)の種を送った。
樹勢の衰えが顕著な釜ノ越桜の背後に、その子どもといわれる桜がある。1928(昭和3)年に植樹されたといい、見事な咲きぶりは見る者の目を奪う。さらに隣には、金田さんらが93年に植えた釜ノ越桜の2世木が成長している。釜ノ越桜の樹齢は800年、子は八十数年、2世木は約20年。親から子、子から孫へと世代交代するように、次の名木に育っていく。
■止まらぬ衰え
ただ、古典桜の衰えは進み、即効性のある解決策は見いだせない中、「さくら回廊を休もう」と提案する人もいる。多くの関係者は、観光客の増加と樹勢に因果関係はないとするが、その提案は、衰弱する古典桜を外し、ほかの地域の桜を加えた新たなルートをつくることで、木を守りながら事業をさらに広げられるとの考え方に基づく。
樹勢回復にしても2世木育成にしても、懸念されるのは有志の高齢化による後継者不足だ。置賜さくら回廊の“生みの親”である置賜さくら会の柴田正夫会長(79)=南陽市=は願いを込めて語る。「先人が守ってきた桜を多くの人に見てもらえるようになったのは本当にうれしいこと。次の世代にも伝えていってほしい」。地域とルートの魅力を高めながら、桜の命と同じように保存、育成活動を担う世代をつないでいくことが求められている。
|
|