第4部・環境に配慮した試み(5) バイオガス発電~幸せの羅針盤|山形新聞

幸せの羅針盤

第4部・環境に配慮した試み(5) バイオガス発電

2021/2/28 11:36

 深い雪に覆われた飯豊町添川地区。国道113号から脇道へと入り、なだらかな山容を見せる眺山を進むと、昨年に完成したばかりの発電施設が広がった。肉牛の排せつ物を利用して電気を生み出す「ながめやまバイオガス発電所」。約8900平方メートルの敷地内には、牛舎や発電プラントなどが一体的に立ち並ぶ。

 地下には長さ約3キロにわたりパイプラインが埋設されている。ここを通して各畜舎から出る牛ふんを集積。液肥に処理する過程で発生するメタンガスを燃料に、発電する。さらにこの液肥は、隣接する牧場で活用する仕組みだ。

肉牛によるバイオガス発電所を稼働させた後藤博信社長。環境に配慮した持続可能なまちづくりへ夢は膨らむ=飯豊町

 牛ふんは地下で運ばれるため臭気の拡散を防ぐ。施設を運営する東北おひさま発電(長井市)の後藤博信社長(74)は「まだ稼働したばかりで課題もあるんだけれど」と言いつつ夢を語った。「環境保全型の取り組みとして、牛の飼育方法を変えるなど畜産農家の方々に協力してもらった。資源を循環させていく持続可能な地域づくりをこの施設を通じて具現化したい」

 東北おひさま発電の後藤博信社長(74)は飯豊町萩生の出身。早稲田大政治経済学部を卒業後の1970(昭和45)年に野村証券に入社した。常務、専務などを歴任し2000年に副社長に就任。「若い力の可能性に懸けてみようという社風で、42歳で取締役になった。戦後生まれの最年少取締役と東京では話題になったかな」。懐かしそうに振り返るが、当時、環境事業を展開する自分の姿は想像もできなかったという。

安全神話崩壊

 「“長老”にならず、みんな早く転身していく会社だから」と町に戻ったのは09年。古里への恩返しができればと副町長の職に就いた。そして転機が訪れる。11年3月の東日本大震災だ。町への避難者の受け入れなどさまざまな災害対応に当たったが、次第に考えが変わっていく自分がいたという。

 理由は、絶対だとされてきた原発の安全神話崩壊だった。野村証券時代に東京電力と仕事上の付き合いがあり、電気の供給という“公共インフラ”を担う電力会社に対し大きな信頼を置き、投資家とも接してきた。だが原発事故の影響は想像をはるかに超えた。「自分は資本市場のど真ん中を歩いてきた。その道の全てを肯定できずにいた」

 任期途中の11年8月に副町長の職を辞した。「3.11」を教訓に、民間の立場でエネルギーの小規模分散化を推進したいとの思いが高まった。そんな中、長井市の那須建設からの誘いもあり、同社の子会社「おひさま」の社長として環境事業を展開することになった。

先進地を視察

 東北おひさま発電は13年に設立された。牛の排せつ物を活用した「ながめやまバイオガス発電所」は昨年10月に本格稼働。産業廃棄物の資源化による循環型社会の実現をコンセプトに据える。地域の畜産農家とともにバイオガスプラントの先進地である北海道に視察に行くなど、町内での新たな事業展開に向けた準備を積み重ねた。

 例えばバイオガス発電所と連動したふん尿処理のため、従来の飼育方法を変更。排出したふんを牛が踏み固めてしまうと発酵が進み活用できなくなる。そのため牛を横一列に並ばせ、背後にトイレのようなスペースを設けてまとめて運び出す手法を導入した。

 新型コロナウイルス感染拡大は人々の行動や働き方を大きく変えた。だからこそ後藤社長は、環境や地域資源に目を向けた挑戦に意味があると考えている。「都市部に集まって働く必要はなくなっている。地域ごとにエネルギーや食料を確保できれば、例えば飯豊町にオフィスを構える人たちも増えるのではないか」。そう展望しながら「ノウハウを蓄積し、自治体でも民間でもできることを提供したい」。持続可能な地域づくりへ、活動の輪を広げていくつもりだ。=第4部おわり

◆メモ 東北おひさま発電は再生可能エネルギー全般を手掛け、長井市などで太陽光発電や小水力発電事業を展開。「ながめやまバイオガス発電所」は2020年7月に完成した。発電量は年間約360万キロワット時で、一般家庭約900世帯分に相当する。

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