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高橋型精社長
高橋光広氏
高橋光広氏
【インタビュー】
 -業界、自社の現状は。

 「従来、主力だった段ボールやパッケージを抜く仕事もしているが、スマートフォンやタブレット端末で使われる光学フィルム、テレビ、自動車関連の抜き加工も手掛けている。堅い鋼材を削り出して精密刃型を作る技術や、刃先の温度をコントロールして精密に抜く技術も独自開発し、1回のプレスでの立体成形と切断・穴開けの同時加工、アートデザインのカッティングも可能だ。他社にはできない技術開発を追求してきた結果、多くの仕事が、お客さまの悩みに答える形で生まれているため、新型コロナウイルス感染拡大の影響は大きくはない。5月ごろからは試作も増えている」

 -子どもの採尿に便利なアイテムや、話しやすいマスクなど自社製品の開発・販売にも挑戦している。

 「『縁の下の力持ち』でいることに誇りを持っていた一方で、自らの技術で直接消費者に喜んでいただける自社製品の発売は悲願だった。便座にかけて楽に採便でき、そのまま流せる楽流カップを2016年に発売したのが最初。昨年は特殊なプリーツ加工で口周りに適度な空間を生み、話しやすい不織布マスク『話しやすい抗菌マスク』を、今年は子どもの採尿が簡単にできる「楽々 おしっこゾウさん」を発売した。いずれもインターネット通販のアマゾンで販売している。便利さを実感してもらった反応がうれしく、生の声を改良に生かしている」

 -求める人材と育成法は。

 「従前と同じことをしていては現状維持も困難だ。今の技術を生かして、または発展させて、新しいことができないか模索し続けることが求められるため、常に工夫して技術を深掘りし、アイデアを考えられる人材がほしい。今年はトヨタ自動車東日本との『ものづくり相互研鑽(けんさん)活動』に県内で唯一、取り組む。現場で活躍できる人材を育てたい。人材を生かすには適材適所の配置が重要。人は誰しも長所と短所がある。長所を生かしきれているか、いつも自問している」

 -最も影響を受けた人物と教えは。

 「創業者の父だ。親方について修業した経験もなかったが、事業を興して職人を育て私につないでくれた。新しいことに挑戦する重要性を教えてくれた。挑戦し、他社にはできない技術を開発できるとうれしい。それが原動力になっているし、支えてくれるスタッフがいるから挑戦できている。挑戦の大切さを私も次世代につないでいきたい」

 ★高橋光広氏(たかはし・みつひろ) 山形工業高機械科卒。埼玉県にある鋳物木型の大手企業や金型の企業で修業後、1975(昭和50)年に入社。82(同57)年に経営を引き継ぐ。以降、精密刃型と高い抜き技術による加工に力を入れて業績を伸ばした。十数件の特許取得を主導した開発者としても知られる。県トライアスロン協会副会長。山形市出身。71歳。

 ★高橋型精 1943(昭和18)年、高橋光広社長の父藤治朗氏(故人)が山形市上町に高橋木型製作所を創業。85(同60)年に高橋型精に改称し南栄町に移転、98年に蔵王産業団地に入った。県内同業社で唯一、レーザー加工機やクリーンルームを所有。経済産業省の地域未来牽引(けんいん)企業、2008年「元気なモノ作り中小企業300社」。資本金1千万円、従業員数約60人。本社所在地は同市蔵王松ケ丘1の1の35。

【私と新聞】地域の話題、知る情報源
 新聞は毎朝ざっと全体に目を通して、仕事の合間や夜にじっくり読むという高橋光広社長。ニュースは多様な媒体で見られる時代だが「地元の幅広い話題を読めるのが山形新聞の魅力であり、山形新聞にしかできないこと」と分析する。特に読むのは各地域に根ざした話題が載る地域面や、おくやみ欄だ。
 毎日、早朝に配達してくれる労力には申し訳なさを感じてしまうという。電子版も活用している。最も印象に残っているのは東日本大震災翌日の紙面。停電し、テレビも見られなかったため、山形新聞の紙面で初めて津波被災地の惨状を知り、衝撃を受けた。その後も、刻々と変わる東京電力福島第1原発事故の状況や被災地が復興していく姿を新聞で追ってきた。「信頼できる情報源だからね」と話した。

【週刊経済ワード】データ市場
 個人や企業活動に関連するデータを取引する場。データ提供者とデータ利用者との取引を仲介する場である「データ取引市場」が代表例。委託を受けて管理している個人データを他企業に提供した際、個人にその対価を支払う「情報銀行」などもある。デジタル化が加速する中で、データの利活用が企業の成長を大きく左右するといわれる。データは「21世紀の石油」などと呼ばれる。
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